「政教分離」、日本の現段階  文科系

近代世界各国の国民主権政治の確立は、宗教との戦いの歴史でもあった。旧王権などが宗教でもって権威づけられ、神聖視されてきたからである。その一例に、王権神授説などがある。そこから生まれた政教分離原則は紆余曲折の歴史をたどり、実に複雑・多様な仕組みが生まれている。フランスのように「完全分離」の国から、イギリスのように国教とは認めても主権在民を徹底し国王の神聖視を排除している国(国教首座の人物を国王が任命するのだが、その皇太子等が普通の下位軍人になったり、王子の家のゴシップが非常に激しく飛び交ったり)、イスラム原理主義に近い国などなどと。同じイスラムでも、トルコ、エジプトなどが世俗主義と呼ばれているのは、政教分離を取り入れているということだ。

 これに対して、日本はどうかと観れば、戦前は政教分離はなかった。大日本帝国憲法第1条、第3条などで、天皇主権、天皇の神聖などが明記されてあったのである。だからこそ、国民は国民と呼ばれず、普通に臣民と呼ばれるのが常だったわけだ。つまり、「御真影」を神棚のように扱った王権神授説そのものの憲法、国であったのであって、それが最も徹底していた国政領域が軍隊であった。軍隊には、内閣は一切関知できず、天皇の直接指揮の下に置かれていた。こんな明治憲法天皇権力そのものの有り様は、日本を統一した時の古代天皇国家の再誕とも見える。

 さて、そういう事実を思い出す時には、日本会議の以下のような憲法改定理念は、政教分離のまともな歴史、論争がない我が国に戦前の悪夢を呼び起こすものと捉える人々が生まれて当然である。「日本会議のめざすもの」には、以下のような重大な事項が系統的に書き込まれているのであるから。

『125代という悠久の歴史を重ねられる連綿とした皇室のご存在は、世界に類例をみないわが国の誇るべき宝というべきでしょう』(「日本会議のめざすもの」全6節の中の「1美しい伝統の国柄を明日の日本へ」から)
『皇室を中心に、同じ歴史、文化、伝統を共有しているという歴史認識こそが、「同じ日本人だ」という同胞感を育み、社会の安定を導き、ひいては国の力を大きくする原動力になると信じています』(同上)
『そもそも憲法とは、歴史的に形成された国柄を反映した国の基本法です。私たちは、外国製の憲法ではなく、わが国の歴史、伝統にもとづいた理念に基づき、新しい時代にふさわしい憲法の制定をめざし』(同「2 新しい時代にふさわしい新憲法を」)

 何か文化的な装いを凝らしてはいるが、こういう天皇の元にまとまらないと、国民が「社会の安定」を作れず、「国の力を大きくする」こともできず等と述べている。こんなふうに考えるのは、国民と国民主権とに対する蔑視とも僕には見えるのである。「国民は外っておくとバラバラになる」と? 言い換えれば「国民の力を一方向にまとめやすくする」? これが、一つの全体主義的発想であることは明らかであろう。