選挙だけ政治の自公政権   文科系

 国家の政治に託された使命で最も大事なことは「国民の命を守る」こと。社会の安心、安全という国家任務も、何よりもまずこのためにこそあると言える。これが大量に損なわれたら、例えば国防予算の意味などもゼロの上にゼロということになる。ところが、今の政府はこの国民の命を五輪開催という賭けのカタにしてしまった。しかも、国民の極めてまっとうな質問にも、こう応えてきたその上でのこと。

「このコロナ下で、国民の命をカタにして五輪をやる意味がどこにあるのか?」
「世界の祭典自身の意味が大きく、どうしてもやりたい。安心安全にやりますから・・・」

 さて、これが答えになっているだろうか。こうまでして五輪をやる本心を隠していると皆が思うのは当然である。世界の祭典に主催国家首脳がしゃしゃり出ることによって、秋の総選挙を有利にしようとしている、とか? だがどっこい、関東のコロナ患者は過去最多になってしまった。賭けは完全な失敗に終わったようだ。
 さて、ここまでして政府は五輪に異常な執着を見せてきた。国民の命を無視したに等しい上に、そういう説明責任ゼロの政府の大失敗、大失態である。

 なぜこんな政府ができてしまったのか。たった一言、政治などまともにやる気は無く、次の選挙に勝つことがすべてという権力亡者になり果ててしまったと観るしか無いだろう。なんせ、「国家・国政功労者を祝い励ます、国家主催の桜を見る会」を「政権党の幹部らの個人選挙功労者を祝い励ます会」に換えてしまった安倍・管政権なのである。

 こんな政権が戦後日本最長って、日本国民もよほど考えないといけない。こんな政治の結末こそ、国民の命をカタにして自分らが目立ち、顔を売る五輪を無理無理やることになってしまったのだから。民主主義の名において、酷すぎる政府と言うべきだろう。命や営業など、コロナ予防、対策の無能すぎる失敗連続に悩まされて来たすべての国民が秋の選挙で鉄槌を下すことである。そもそも二世議員こそどんどん増えていくという事実も、「議員になりたいだけ、それがすべて」を証明しているはずだ。