随筆 庭の桜を切るー終活   文科系 

晩年の両親の家に次男の僕が入って、三〇年。そこには母の好みの花木を中心とした一五〇㎡ほどの庭がある。現役の時はもちろん母親に、母親が亡くなってからも連れ合いに任せっきりで、僕の出番は大きな木を切るなどの力仕事の時だけ。が、停年後は年々、庭に出て行く機会が増えている。そんな僕に十年ほど前から、ある悩みが生まれた。庭で一番大きなしだれ桜を切らねばならぬだろうというものだ。こんな名古屋の中心部に近い小さな庭にサクラって母もよく植えたものと人は言うだろうが、この家は築五七年、しかも僕がここに入ったころでさえ隣近所はもっとまばらで平家ばかり。僕の新家が無かった庭そのものもずっと広かった。それが今は高い家に四方を囲まれた猫の額にこの大木! 一重の素朴な白い花に心持ち灰色もかって、薄墨桜ってこんなだろうかと想像したりしてきたお気に入りであった。おまけに、僕はこの木を生き返らせた体験まで持っていた。母の「桜切るバカ」が過ぎて半分枯れかけ花もほとんど咲かなかったこの桜を、引っ越してきたばかりの僕が復活させたのである。腐った幹の空洞に樹木補強材を詰め、なぜか土の上に出てきた太い根っこには土をかぶせて、肥料もいっぱいやって。そんな手当の甲斐あって、年々花も増え、深く重なった花の塊はいっそう薄墨桜の趣を見せてくれた。

 さて、「四方を囲まれた猫の額のこの大木」を切ろうと決められたのは、僕の終活の一つと決めたからである。そう決めたからこそ、こんな辛い仕事を自分自身でやり切ることができたのだ。これを遺されたこどもらは一体どう処理できるのか。クレーンだとかなんだとかお金もさぞかかるだろう。僕ならば・・・と思い立った。自分が木に登って、大きな枝の先の方から切っていった。太い枝を上から順に切り落とす時はロープを縛り付けておいてやがて少しずつ下ろしていく。最後に残った幹を切る時も運べる重さを見計らって上から順にという運びだ。これら全てをチェーンソーも工面せずにあえて普通の鋸でやった。「俺も後から逝くのだからな。それに、今を逃がすともう俺の手ではできなくなるのだから」とつぶやきながら、涙も出てきた作業になった。

 さて、この桜がなくなって五年になるのだが、その西隣にあった一株から五本立ちのキンモクセイがみるみる内に伸びてきた。成長が遅いはずのこの木が今はもう桜に負けないような高さにまで伸びている。この固い葉っぱがあまりに繁るからというわけでその五本の内二本を去年までの二年で順に間引いてきたのだが、そこにある日、驚きの光景を目にすることになった。今年四年生になったばかりの女の孫ハーちゃんが、二本の切株に順に足を掛けて去年間引いた木のすき間をぬって、五mほどの高さにまでよじ登っていたのだ。五歳になる弟が僕を呼びに来たから分かったことだが、このセイちゃんまでが僕の目の前でするすると上っていったその光景! ちなみに、ハーちゃんは赤ちゃんの時からこの庭で育ったようなもの。だからこそ、ダンゴ虫はもちろん、ミミズでも平気でつまめる子に育っている。その彼女が、僕と庭を観ている最近こうつぶやいたことがあるのをすぐに思いだしたものだ。「あそこの木の間の石が並べてある回り道、よくくぐっていったよねー・・・、セイちゃんにもいー思いで作って上げてよ!」。そう、セイちゃんにもそれができたに違いない。幼いハーちゃんが春にくぐった桜とキンモクセイの間を通る道の、その真上に二人が今上っている。