米中冷戦、様々な選択論   文科系

トゥキディデスの罠」、「大国の興亡」などなどにも例えられるこの冷戦はもう始まっている。米国側の貿易保護主義、関税、経済制裁含みなどの仕掛けによって。話題の香港デモにもアメリカの影があることは、中国側から証拠写真付きで既に暴露もされている。この冷戦の行方は、それにどう関わるかによって日本の明日あさっての在り様を大きく決めるようなものだから、この行方、選択が日本の明日の運命岐路になるだろう。ちなみに例えば、スペインの後オランダ隆盛に追随してやがてオランダとともにイギリスに敗れたかたちで、落ちていったベルギーのようにならなければよいのだが。今の時代に金融に頼るというのは、そういうことだという気がする。もっとも、日本の金融は官製金融にも等しいのだが。

 さて一昨日は、ニューズウイーク日本語版最新号に載った元日本外交官、河東哲夫の「米中冷戦、日本の選択」をご紹介した。この論議内容は、アメリカで言えばアーミーテージなど、ネオコンのいわゆる日本ハンドラーが行ってきた論議のごく稚拙な複写ものに過ぎない。ちなみに、こういう稚拙な議論が、日本マスコミではほとんどと見える。

 ところで、もちろん、アメリカにも全く別の議論がある。ロナルド・ドーア著「日本の転機── 米中の狭間をどう生き残るか」(ちくま新書)に紹介されていた有名政論人らの議論を紹介しよう。まず、日本でも有名になった「大国の興亡」(1988年発行)を書いた、ポール・ケネディ

 ケネディは、大国の興亡で「過去、大国が入れ替わった時とは、旧大国が手を広げすぎた時だ」と述べて、米ソ冷戦の双方にそういう警鐘を鳴らした。その後ソ連が、東ドイツ崩壊を機に降参と諸手を挙げた時に、米外交論壇はケネディに対してこんな勝ちどきを吠えたということだ。
「それ見ろ、米への警鐘は余計な心配だったろう!」
 ところが、ご当人のケネディは、その後も一向にその議論を引き下げず、米中冷戦の行方についてウオール・ストリート・ジャーナルにこんな記事を投稿したと、ロナルド・ドーアのこの本が教えてくれる。

『西洋からアジアへの、権力の地殻の変動のような移行は逆行させにくい。しかし、米国議会およびホワイトハウスがもし合理的な政策を取れば、このような歴史的な転換期の浮き沈みの度合い、暴力の度合い、不愉快さの度合いをかなり軽減できる。私のような「斜陽主義説の輩」にとっても、まあ慰めになると思う。』

 ケネディのこういう議論に対して、ネオコン論客が猛反発するのは、言うまでもない。その典型、ロバート・ケーガンはこう語るという。
『国際的秩序は進化の産物ではなく、強制されるものである。一国のビジョンが他国のビジョンとの葛藤においての勝利に起因する。・・・現在の秩序は、それを是とし、その恩恵を蒙っている人たちが、それをとことんまで防衛する意思及び軍事能力があってのみ、存続できる』


また、著名な外交官、キッシンジャーはこう語っているそうだ。
『外向的丁寧さを剥ぎ取って言えば、米国戦略の究極的目標は中国の一党支配権力制度を取り除き、自由民主義体制に変えさせる革命(なるべく平和的革命)を早めることとすべし』
『中国が民主主義国家になるまで敵対的に「体制転換」を中国に強いるように、軍事的・思想的圧力をかけなければならないとする』
 
 こうして、米中冷戦議論には、二つの理解、やり方、立場があると分かる。ケネディのそれ、米ネオコンのそれと。これを敢えて定義するなら、こういうものとなるだろう。
①「基本的人権と民主主義」の世界旗手の立場を何があっても「守り抜く」べく、みずからの「意思」を第一とする、これがネオコンの立場。
②大国の興亡、移行は今度も逆行させにくいという意味で必然だから、暴力抵抗など止めて、合理的な政策を取ろう。これがポール・ケネディや、ロナルド・ドーアの立場。

 この二つの立場では当然のことながら、日本への要求も全く違う物になってくる。ちなみに、新大国スパルタが旧大国アテネに戦争をしかけた本家「トゥキディデスの罠」以来の過去とは違って、中国から仕掛けるという議論は将来を見通すものも含めてどこにも起こっていない。これは、核という地球破壊兵器が双方にあるからとも言えるが、金融以外のグローバル経済、世界の有効需要が中国にどんどん傾いていきつつあるからだとも言える。よって、アメリカだけが焦っているというのも、現在の歴史の必然。イラク戦争、イラン、ベネズエラへの戦争挑発も、そういう焦りの一つと観ることも出来る。その時に備えて、反米の芽を全て摘み取っておきたい・・・。